アーティスト・ステートメント[ PDFダウンロード ]
私のライトペインティングに音楽を感じると言ってくれる人は多い。実は私自身、ライトペインティングの制作に、音楽をインプロヴァイズするのと同じエネルギーを感じている。音楽もライトペインティングも、手段こそ違うが、どちらもカオスとコントロールのはざまであやうい綱渡りをしていることに変わりはない。
ロンドンでの高校時代、音と光が同一のスペクトルを構成していることを知って、私は深い感銘を受けた。生涯、音楽と写真という2つの芸術の道を平行して歩むことに決めたのは、この発見からまもなくのことだ。とはいえ、最初に参加したロックバンドが全英No.1ヒットを達成したことで、写真よりも音楽活動のほうが脚光を浴びることになった。
20年近くにわたり、パンクロックからメディテーション・ミュージックまで、さまざまな音楽的な試みを重ねてきた私は、1985年に日本に移り住む。そして深く精神的な伝統と、最前線のモダニズムという相矛盾する要素が両立する日本文化に触発され、ビジュアルアート、音楽ともに、創造の旅路において目指すべき方向を見出した。デジタル音楽技術の登場で、音をサンプリングして綿密に分析することができるようになり、高品質のマクロレンズを購入したことで、被写体の形状が抽象化されるまで近づいて接写することが可能になった。
ある時点から、音符の間に流れる静寂が、音符そのものよりも大きな意味を持つようになる。私の写真からもしだいに形あるものが姿を消していったが、それにつれて、光を反射している物体より、光そのものが語りかけてくるようになった。創造性の鍵を握るのは、自分の中で組み立てていた計画や概念からの脱却を促す小さなハプニングを見逃さないことだ。
ある夜のこと、私はクリスマスのイルミネーションを撮影しようと思い立った。きれいに撮るためには長い露出時間が必要なのだが、途中でうっかりカメラを動かしてしまった。そうしてできあがった画像は、写真というより絵画に近いように思えた。私はこの興味深い”失敗作”の虜となり、試行錯誤しながらテクニックを磨いていった。基本の手法は、露出の間にカメラか光源、もしくはその両方を動かすことで、光源は自然のもの(たとえば、満月や、水面に照り映える陽光)かもしれないし、人工の場合(街の灯り、車のヘッドライト、LEDなど)もある。コンピュータはトリミングや、カラーバランスの調整にしか使わない。
あえてタイトルをつけることで、ライトペインティングを見る人の解釈を限定してはいけないと私は考えている。「無題」としておくことが最良の解決策なのかもしれないが、それでは少しそっけなさすぎるし、第一、それでは個々の作品をどう呼んだらいいのかがわからない。そこで、ライトペインティングという芸術形式を発展させていく場を与えてくれたこの国に敬意を表し、使用した光源にちなんだ日本語の単語を使って分類することに決めた。例えば、Shindo(電球のフィラメントが振動するさまをイメージして)とTamashii(プラズマランプから受ける、瓶に魂が詰まっているような感じから)等のカテゴリーがある。
すべての抽象写真家と、ビジュアルミュージックを通してひらめきを与えてくれたアーティストたち、そして私たち人間の心の内にある不滅の光に、これらのライトペインティングを捧げたい。
モーガン・フィッシャー